2006年08月26日

加地亮

サッカー 加地亮


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加地亮のプロフィール


神戸サッカーの名門、滝川第二高等学校に入学。

滝川二高卒業後の1998年、Jリーグのセレッソ大阪に加入。


1999年にはU-20日本代表に選出され、ナイジェリアで開催された

FIFAワールドユース選手権に出場、準優勝を果たした。

しかしセレッソ大阪では出場機会が減り、2000年にJ2の

大分トリニータにレンタル移籍。

同チームで2年間を過ごした。


2002年、J1のFC東京に移籍。

同時期に監督として就任した原博実の掲げる攻撃的4バックの

右サイドとして重用され、レギュラーの座を獲得した。


翌2003年、日本代表メンバーに初選出。

このときは、所属するFC東京の原監督からも「加地でいいの?」

と言われるほど意外な抜擢であった。


2006年からガンバ大阪に完全移籍。

ドイツW杯終了後、代表監督がオシムに代わってからも、

持ち前の持久力とチームに貢献するプレースタイルが評価され、

サントス、遠藤保仁と共に代表選出を果たした。



加地亮のプレースタイル


右サイドでの驚異的な運動量を生かしたオーバーラップや、

中盤のタレントを活かすため「おとりの動き」を精力的にこなす。

FC東京時代、同じ右サイドで攻撃的ミッドフィールダーである

石川直宏とのコンビネーションは、原博実監督の追求するサイド攻撃を

具現化したものであり、チームの特徴ともなっていた。




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徳永悠平

サッカー 徳永悠平


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徳永悠平のプロフィール


1983年9月25日生まれ。

Jリーグ・FC東京所属のプロサッカー選手。

長崎県国見町(現雲仙市)出身。

ポジションはMFまたはDF(本職は右サイドバック)

身長179cm体重74kg。血液型A型。



国見高時代、2年次に高校三冠に貢献し、3年次はキャプテンとして活躍。

卒業後は早稲田大学に進学した。

2003年・2004年にはJリーグの特別指定選手としてFC東京でプレー。

FC東京の初タイトル(2004ナビスコカップ優勝)にも貢献。

2004年は、アテネオリンピックの代表に選出された。


2005年にはバレンシアの練習に参加し、移籍するのではないか

と囁かれていたが、2006年シーズンからFC東京に加入することが

正式に発表された。


卒業単位未取得のため、2006年は大学に籍を残したまま

プロ選手としてプレーする。


人に強い守備、縦への速いドリブル突破など身体能力の高さが武器。

サイドバック以外にもセンターバック、センターハーフ、サイドハーフを

こなすユーティリティープレーヤー。


高校・大学時代を通じ常に各年代の日本代表に選出され、

在学中からフル代表入りも期待されるほど

大学サッカー界では突出した存在だった。

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2006年08月19日

三都主アレサンドロ

サッカー 三都主アレサンドロ


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サントスのプロフィール


1977年7月20日生まれ。

ブラジルから帰化したサッカー選手。

明徳義塾高出身。


1993年、ブラジルにスカウトに来ていた明徳義塾サッカー部監督の

目に留まり、日本に誘われる。

「日本でプロも目指せる」との言葉に心を動かされ、

1994年、16歳の時に高知の明徳義塾高校にサッカー留学で来日。

高校時代は予選突破が出来ず、全国大会に出場できなかったため、

ほとんど無名であった。


高校卒業後、清水エスパルスでプロテストを受け、合格する。

1997年に入団すると、以後、左サイドのスペシャリストとして頭角を現す。


1999年のステージ優勝(年間勝ち点で1位)に大きく貢献、

史上最年少の22歳でJリーグMVPを獲得。


2002年、日韓W杯に日本代表として出場。

切り札として期待されたが、出場機会は少なかった。

しかし、トルコ戦では、FWとして先発。

フリーキックをバーに当てるなど、印象に残るプレーをした。


ジーコジャパンでは、不動の左サイドバックだった。


オシムジャパン初戦のトリニダード・トバゴ戦では、

ジーコ時代の左サイドバックより1列前の

左MFでスタメン出場。

2得点を挙げた。



サントスのプレースタイル


抜群のスタミナとドリブルが持ち味。

ドリブル以上にスペースに飛び込む動きを得意とし、

そこからラストパス・クロスを供給する。


また、中に切れ込み、強烈なミドルシュートを放つこともある。


深めの位置から上げるマイナス気味のクロスは速度、

精度ともに素晴らしい。

その優れたキックを生かしたコーナーキックやフリーキックなど、

セットプレーの精度の高さにも定評がある。


以前は左足のみを使う(しか使えない)事を指摘されていたが、

現在は右足でクロスを上げることもあり、

右足を使用する頻度が若干上がっている。


得意技はタッチライン沿いのドリブル突破や内側へ切り込んでのシュート。


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佐藤勇人

サッカー 佐藤勇人


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佐藤勇人のプロフィール

1982年3月12日生まれ。埼玉県春日部市出身。

Jリーグ、ジェフユナイテッド市原・千葉所属。

双子の弟にサンフレッチェ広島所属の日本代表FW佐藤寿人がいる。


埼玉県春日部市出身だが、中学進学を機に兄弟揃って

ジェフユナイテッド・ジュニアユースに入団するために、

家族で千葉県八千代市に引っ越してきた。

両親は自営業だったので、埼玉にあった店を畳んで来た。


弟に比べてあまり優秀な兄ではなかったらしく、

ジェフユナイテッド・ユースに上がってから

遊びたいからと言う理由で2度クラブを辞めている。


しかし当時からその才能は高く評価され、

国体少年の千葉選抜に請われ参加。


浦和レッドダイヤモンズの田中マルクス闘莉王とドイスボランチを組んだ。

準決勝で大黒将志のいた大阪選抜を2-0、

決勝で静岡選抜を6-0と圧倒し優勝。


サッカーから一時離れたせいか、ジェフでのトップ出場は弟より遅い。


現在ではジュニアユースから同期の阿部勇樹とコンビで

ジェフのドイスボランチを組んでいる。



佐藤勇人のプレースタイル


「ダイナモ」と呼ぶにふさわしい機動型ボランチ。

羽生直剛と並びジェフの中盤の運動量を支えている。

特に前線へ飛び出しからのシュートと、

激しい当たりやスライディングタックルからのボール奪取が特徴。
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2006年08月12日

羽生直剛

サッカー 羽生直剛


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羽生直剛のプロフィール


1979年12月22日生まれ。千葉県千葉市出身。

ジェフユナイテッド市原・千葉所属。


羽生直剛のプレースタイル


小兵のトップ下。

シャドゥストライカーとして1.5列目からの飛び出しが魅力。

前線のいたるところに顔を出して、相手守備陣を引っ掻き回す。

逆に、相手ボールになったときは労を惜しまず、守備にも走り回る。


羽生のこうした攻守にわたる献身ぶりはチームを鼓舞し、

サポーターを熱くさせる。

オシム流「走るサッカー」を体現する一人。


チームメイトや監督からは、時々背が小さい事でいじられることが多い。

本人も背が小さい事はそれなりに気にしているらしいが、

それがまた羽生の「らしいプレイ」

つまり相手DFのフィジカルコンタクトをかいくぐり、

スペースを作る、裏へ飛び出す、などの工夫にも結びついている。


ジェフのチームメートの巻誠一郎(駒澤大学出身)とは

ユニバーシアード北京大会でもチームメートだった。

(羽生は筑波大学出身)


この大会の決勝(ウクライナ戦)で羽生は決勝ゴールとなる先制点を奪い、

優勝に大きく貢献している。


卒業論文は当時日本代表であった森島寛晃の

プレースタイルについてだったという
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2006年08月08日

梶山陽平

サッカー梶山陽平


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梶山陽平のプロフィール


1985年9月24日生まれ。東京都江東区出身。

Jリーグ・FC東京所属。


FC東京U-15、U-18出身。

Jリーグデビューは2003年4月29日のヴィッセル神戸戦で、当時高校3年生。

コンスタントに試合に出場するようになったのは翌2004年からで、

主にトップ下でプレー。

Jリーグ優秀新人賞を受賞。


その後怪我に苦しんだが、2005年7月にレギュラーを掴み、

以降守備的MFの位置で常時先発している。


年代別日本代表としてはU-17時代から中心選手として活躍。

2005年オランダで行われたワールドユースにも

怪我明けながら3試合に出場した。



梶山陽平のプレースタイル


梶山の特徴は、なんといってもボールキープ力。

一見鈍重そうに映るが、ひとたびボールを持つとのらりくらりと

優雅に敵をかわし、決定的なラストパスを通す。

その要因には日本人離れしたフィジカルがある。


足が長く懐が深いため、相手選手は中々飛び込めず、

また強引に取りに行こうとしても、倒れそうな無理な体勢から

目の覚めるようなパスを繰り出す。


強烈なミドルも特徴で、彼のゴールは記憶に残る鮮烈なものが多い。


課題としては、守備的MFとしての運動量の少なさ。

試合によって調子の波が激しく、消えている時間帯も多い。


また彼のボールキープをチームメイトが信頼しすぎるあまり、

ひとたびボールを失うと一気に決定的ピンチに陥りやすいことも

弱点である。


しかし、これまでの日本の中盤選手とは一線を画す特徴を持った選手で、

各方面からの期待も高く、その将来を嘱望されている。

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2006年08月07日

松田直樹

サッカー 松田直樹


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松田直樹のプロフィール


1977年3月14日生まれ。群馬県桐生市出身。


ルーキーシーズンの1995年、いきなり開幕スタメン。

翌年のアトランタオリンピックのメンバーにも選出。

4年後のシドニーオリンピックにも選出され、

数少ない2大会連続出場選手となった。


トルシエジャパン時代はフラット3と呼ばれる3バックの

右サイドで不動のレギュラー。

2002年の日韓W杯ではベスト16入りに貢献。


ジーコジャパンになってからも当初は代表に呼ばれていたが、

ドイツW杯アジア最終予選バーレーン戦以降、代表には呼ばれていない。


しかし、高さとフィジカル、経験という武器を持つ松田の

代表復帰を望む声は根強かった。


また、中田英寿と幼い頃から共に日本代表でプレーし、

中田の数少ない理解者でもあった。



松田直樹のプレースタイル

類稀なる運動神経を持ち、フィジカルも強く、

海外の選手にも当たり負けしない。

時折見せる攻撃参加にも定評があり、コーナーキックではヘディングで

得点を奪う。


しかし、もともと攻撃型のプレイヤーなので、一度前線に出て行くと

最終ラインになかなか戻ってこない。


マリノスの岡田監督に試合の後

「お前のポジションはどこなんだ」と説教されたことがある。


最近では、岡田監督にも「今の松田なら大丈夫だ」と信頼されている。


岡田監督曰く「ヨーロッパで唯一通用する日本人DF」


posted by サッカー at 18:10| 記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月04日

オシムジャパン メンバー発表

オシム監督は、やっとキリンカップ、トリニダード・トバゴ戦の

日本代表メンバーを発表。


ん、なんか人数少なくないか?


GK
川口能活(磐田)
山岸範宏(浦和)

DF
三都主アレサンドロ(浦和)
坪井慶介(浦和)
田中マルクス闘莉王(浦和)
駒野友一(広島)

MF
田中隼磨(横浜FM)
今野泰幸(FC東京)
小林大悟(大宮)
長谷部誠(浦和)

FW
我那覇和樹(川崎)
佐藤寿人(広島)
田中達也(浦和)


掲示板、もっと盛り上げてくれよ〜
これがオシムジャパンの最強フォーメーションだ!!
posted by サッカー at 15:58| 記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月31日

中村俊輔

サッカー 中村俊輔


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ShunsukePark 中村俊輔サッカークリニック

激突!! 中村俊輔VSデルピエロ 

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完成まだまだ先・・・10年Wカップまで粘るよ 中村俊輔インタビュー



中村俊輔のプロフィール


1978年6月24日生まれ。横浜市出身。O型。


兄の影響を受け、小学校入学と同時に深園FCに入団。

中学入学と同時に、日産(現横浜F・マリノス)のジュニアユースに所属。

1年生からレギュラーを獲得し、エースとして全国優勝に貢献する。

が、成長期が遅かったため、3年生になると、

他の選手との体格差が影響して補欠に。


そのため、ユースに昇格することが出来ず桐光学園高に進学。

2年生の時、懸念されていた体も急激に成長して

(1年間で身長が160cmから175cmになった)

全国高校サッカー選手権大会で活躍、注目を集める。


さらに3年生の時には山本昌邦率いるU-20日本代表に、

高校生としてただ一人選出され、アジアユースに出場。


またこの年は全国高校サッカー選手権大会準優勝に大きく貢献した。



中村俊輔 横浜マリノスから日本代表へ


1997年、横浜マリノスに入団。

入団直後から実力を発揮し、クラブの主力選手として活躍。

同年のワールドユース・マレーシア大会にも出場し、

チームのベスト8進出に貢献。

1998年にはA代表合宿にも召集された。


1999年より背番号10でプレーする。

その後、フィリップ・トルシエによってU-23代表に招集され、

2000年のシドニーオリンピックに出場。

主力としてベスト8進出に大きく貢献。


さらに同年、A代表に招集され、AFCアジアカップでは

左サイドの攻撃的ミッドフィールダーとして存在感を示した。

またこの年はJリーグでも活躍し、MVPを受賞する。


その後も順調にA代表に招集され、2002 FIFAワールドカップ直前の

親善試合では、直接フリーキックを決めるなど

本戦代表選出確実と思われた。


が、代表合宿で痛めていた足首のケガが長引くなどで、選出は見送られた。



中村俊輔 海外移籍


ケガが癒えた直後の2002年7月、イタリアのセリエAレッジーナに移籍。

2シーズンに渡ってクラブの1部残留に貢献する活躍を見せる。

レッジーナに3シーズン在籍したのち、

2005年7月、スコティッシュ・プレミアリーグの強豪・セルティックへ移籍。


移籍1年目から主力選手としてシーズンを通して活躍し、

国内リーグ優勝・国内カップ戦優勝の2冠を獲得した。



中村俊輔 初めてのWカップ


2006年ドイツ大会。

グループリーグ第一戦のオーストラリア戦前半で、

ワールドカップ本大会初得点をあげる。

しかしその後は中田英寿と共に常に厳しいマークに苦しみ、

また体調不良もあって目立った活躍は出来なかった。


続くグループリーグ第二戦のクロアチア戦、第三戦のブラジル戦と、

体調不良と第一戦で受けた怪我の影響からか精細を欠いた。


チームは2敗1分で決勝リーグ進出は成らなかった。


中村俊輔のプレースタイル


左足から繰り出される長短の正確なパスと、抜群のテクニック、

フリーキックが大きな武器。


テクニックに裏打ちされた、狭いコースを瞬時に見つけ出し

的確に通すパスセンスは日本人の中でもトップクラス。

また、プレースキッカーとしても世界トップレベルにある。


フィジカル面が弱く、寄せられるとプレーが出来ないという課題がある。

が、海外のリーグで揉まれ、その課題も徐々に克服中。


現代のサッカーで、トップ下の選手に求められる

セカンドストライカーとしての役割、

すなわちスペースへの飛び出しや、流れの中での得点という部分に

弱さがある。


また理由は不明だがヘディングを極端に嫌い。

ヘディングによるアシスト、ゴールはプロに入ってから

一度も経験していない。


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posted by サッカー at 11:43| 記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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